Government Concept

昨日今年6月時点での生活保護の受給世帯が過去最大の160万4414世帯になったことが厚生労働省から発表されました。

受給者数は前月より減少して215万8840人で減少しているのにも関わらず、受給世帯が増えているのは高齢者が単身で受給するパターンが増えていると考えられています。

そんな中先月からこの生活保護費のなかの生活扶助費を3年間で平均6.5%、最大で10%削減することが決まっています。

そこで、生活保護者らによって保護費減額の決定に対する不服申立として都道府県知事へ審査請求が行われています。

この不服申立は全国で1万人規模になるともいわれており、大きな問題に発展しています。

もちろん処分を下した都道府県知事も厚生労働省の基準に従って決定しただけですからどうしようもありません。

おそらく結局審査請求は破棄されることになるでしょう。

その後は厚生労働大臣に再審査請求するか、処分の取消を求めて裁判所に提訴するのが法が求める段取りです。

 

今に始まった議論ではないですが、生活保護者に対する批判の中には誹謗的な批判があり、ある自治体では相談に来た住民に風俗店で働くように促した例があるという話も聞きます。

別に風俗店で働くことがイケナイコトとは思いませんが、受給を認めてもらうためには自立のためのあらゆる可能性を検討しなければならないのです。

現在生活保護関連の予算は4兆円前後あるとされており、もちろんこれらは国民の税金から拠出されているわけですから普通に働いている労働者からは批判があってもしかないといえなくもありません。

しかし、不正受給の問題は別にして、ほとんどの受給者は法律に基づいて受給しているわけですから、ゲームのルールに則っている限りなんの問題もないハズです。

これを「既得権益」だと批判するのは簡単ですが、そもそも税金という権威的な資源の分配は性質上そのほとんどが「既得権益」なのです。

そのパイを奪うために自己の権利を主張して恩恵に与ろうとするのが、政治が支配する世界で生きる知恵なのです。

憲法で認められた「生存権」を主張し、自らのプライバシーを自治体に明け渡して保護を得ることが自分の生活とってプラスになると判断したから保護を受けているまでです。

今回の保護費引き下げはまさにこの「既得権益」を脅かすものですから、対抗しようと行動するのは当たり前なのです。

憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」というのはあまりに規定が漠然としているために、どの程度の保護が適当なのか統一した結論が出るわけがありません。

なので、延々と「既得権益」をめぐる議論はおさまることはないのです。

みんな自分が大事なので自分の既得権益には甘いですが、他人の既得権益には厳しいのです。

 

ちなみに、この日本を維持していくために必要な費用(租税・保険料)の合計を人口全体で割ると一人約100万円となります。

一人当たりの国税と地方税合計で約55万円、保険料の合計で45万円です。国民所得に対して約40%ですから非常に大きな既得権益の塊です。

しかし、稼ぎの4割を実際に払っているひとはごく一部です。

実際に100万円以上おさめている一家の大黒柱の人も、配偶者や子供の分まで含めるとこの基準をクリアしている人は一部じゃないでしょうか。

世帯あたりの平均所得が530万円なので、奥さんと子供2人の家庭で400万円以上負担できるのは限られた家族だけなのです。

生活保護者からすると、程度の差はあれ大多数が何かしらの「既得権益」に乗っかっているわけですから、自分たちだけ批判される覚えはないと考えていてもおかしくはありません。

 

このように一人当たりの社会的コストの大部分高所得者を押し付けられる社会では、そもそも普通の人は相当有利なので充分「既得権益」側なのです。

この「既得権益」を正当化するために現在の「一人一票」の民主主義制度が発明されたいっても過言ではありません。

お金持ちもそうでない人も等しく一票で、大多数の人がお金持ちではないわけですから、多くの人が都合の良いルールや税制度をつくるだけで納税額以上のリターンが期待できるのです。

もちろん、「お金持ちじゃない人」というざっくりとした括りの下にはもっと細かい利益の形をもつ人やグループがいます。

「特定の産業に従事している人」や「所得が少なくて貧しい人」、「何かしらのハンディキャップを背負った人」などの無限といっていいほどの種類の人間たちの欲望があり、それぞれが都合良く思い思いの主張をして、それが選挙の際の一票に反映されるのです。

「政治家」の役割の一つは国民を代表して行政が集めた「税金」を適正に使っているかをチェックすることですが、そもそも「政治家」も一つの職業集団で既得権益をもっているのですからよりゲームが複雑になります。

いくら高潔な考えや理想を持って政治をしていても、落選してしまえば理想を実現することは出来ないわけですから、充分に自分を当選させられるだけの有権者がいる特定の「既得権益」を持つグループの利益を代表するのは有効な戦略です。

「政治家」の実力とはいかに自分を議会に通してくれる有権者の「付託」に報えて、限りある国家予算から出来るだけ多くの金を引っ張ってくるかにかかっているのです。

正面切ってカネくれと騒いでるだけでは見え方が悪いので、ちゃんともっともらしい理屈を捻り出したり、安易にバレないような方法で利益を移転させることが政治手腕で、政治家としての「節度」なのです。

こうして、減税や国家運営のための経費を削減する政策が実行されることはほとんどありませんし、ごまかしきれない分は国債として将来世代に負担を押し付けるのです。

これは政治家の善悪の問題というより、民主主義制度を維持するためのコストです。

 

一方で「政治家」を議会に送れるほど大量の有権者集団を集めることができない「利益」しか持ち合わせていない有権者にとってはこんなゲームに参加しても何の意味もないわけですから、投票なんかに行かずに遊びにいったり、別のコトする方が合理的です。

市民として政治に参加することが大切なのは確かに学校で教わったかもしれませんが、有限の人生で自分とは関係ないことにいちいち関わっている時間はそうありませんし、そもそもそういう人たちにとって「既得権益」の奪い合いの議論自体が茶番劇も甚だしいのです。

 

生活保護の根拠は憲法にも規定のある強力な「権利」です。そしてもちろんその費用は「税金」から拠出されています。

最低限度の生活にも困っていないし、多額の税金を納ているわけでもない人たちにはこのゲームはどのように映るのでしょうか。

(おわり)